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中島 良(なかじま りょう)
映画監督
中島 良
プロフィール

1983年、山梨県生まれ。
2007年、第29回ぴあフィルムフェスティバルに応募した長編自主映画
『俺たちの世界』が、審査員特別賞を含む3賞を受賞。
第7回ニューヨーク・アジア映画祭でも最優秀新人作品賞を受賞。
福岡市の能古島で撮影した映画「なつやすみの巨匠」をきっかけに福岡へ移住。

URL

http://peijafilm.hatenablog.com/

INTERVIEW
─  ついに「なつやすみの巨匠」のDVDが発売ですね。これで各ご家庭でも楽しめますね。

映画が無事DVD化できたのも、福岡で出会った人のつながりとバックアップのおかげです。

福岡には、「恩送り」という文化があるそうです。誰かから恩を受けたら「返す」 のではなく、下の世代や困っている人などに「送る」という考え方。この映画は、製作費の半分を福岡の企業が出資してくれたのですが、その理由は「福岡を舞台にした映画を応援しよう」という純粋な好意によるものでした。
そういった気持ちのいい応援文化が、根づいていることはすごいことだと思います。

─  監督はこの映画を通じて福岡に移住されたと聞いています。どういったところが決め手になったのでしょうか。

現在は東京と福岡の二拠点生活をしています。
映画を撮影する時は、地域の方に様々なご協力をお願いすることも多いのですが、映画を撮ること自体、地元の人に嫌がられてしまうことも少なくありません。でも、福岡の人たちには、外から来る人にもとてもオープンでウェルカム。たくさんの方が積極的に協力してくれました。
また、商店街が元気なこの街は、アジアの市場のような活気があります。老若男女問わず、とても活発。
この街のいいところは、いろいろな人が居て、多様な価値観が共存しているところ。カオスで楽しいこの街が、とても気に入っています。

─  また、東京をはなれ映画監督として何かかわったことはありますか。

福岡に来て映画を作ったことで、クリエイターとしての考え方も大きく変わりました。もともとは、仕事最優先のワーカホリック。しかし、東京では作ったものが、次から次へとものすごいスピードで消費されていきます。でも、「なつやすみの巨匠」をつくったことで、その過激な消費サイクルに陥らない、作品づくりの可能性を見いだせました。
映画館だけでなく、地域のコミュニティースペースなどでも上映会が開催され「地元の魅力を映画を通して再認識することができた」など、うれしい感想をたくさんいただきました。観た人が、この映画のことを心に残る「宝物」のように感じてくれたのだと実感できたのです。
また、この映画をきっかけに、映像制作や演技指導など、ワークショップや講演をする機会が増えました。社会とつながることのなかった東京では知り得なかった、社会での自分の役割や存在価値に気づくこともできました。
今後は、これまで自分が培ってきた技術やノウハウを通して地域と繋がりながら、ただ「消費」されるだけじゃない、本当に価値のある作品をつくっていけるように努力していきます。

─  福岡は若者の多い町(政令指定都市No.1)でして、映像関係の大学・専門学校も多いのですが、制作を志望する学生へメッセージをいただけますか。

僕は映像を作り始めて、18年、監督になって10年ですが、僕より才能がある人をたくさん見てきました。しかし、多くの人たちは道半ばにして業界を去っていきました。僕が続けられたのは人の縁のおかげです。
それを大事に、自分のしたい生き方をストレートにしてください。

─  最後に、監督の最新の動向や次回作の情報などファンの方に。

昨今、映画は必ずしも映画館で見る必要はなくなり、映画の観客は減っています。
僕は映画の役割はなんだろう、といつも考えています。福岡に来て、映画を見てくれた人たちと実際に触れて初めて、映画の中のメッセージは古びない。そして、映画は人と人とをつなげる掛け橋になる。2つのことを強く実感しました。
黒澤明監督は「映画には世界を平和に導く美しさと力がある」と言い遺しています。
この映画のパワーを引き出せるような、新しい映画のカタチがあるはずです。
現代の消費型社会の枠組みでは、「なつやすみの巨匠」のように地域の魅力や人の暖かさを描いたささやかな作品を継続して作るのは難しいです。
僕は今後、新しい映画のカタチを探して、自分の作品を作るとともに、後につづく人たちや、これまで創作に携わったことのない人も、表現ができるような環境作りをしていきたいと思います。

情報更新日:2017/12/15

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