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入江 信吾(いりえ しんご)
脚本家
入江 信吾
プロフィール

1976年、福岡市早良区出身。
2004年、東映芸術職に脚本家として採用。
2005年にドラマ『相棒』の脚本を手がけ、ドラマ脚本家デビュー。テレビドラマを始め、映画、アニメと幅広い分野の脚本を手掛ける。
2015年夏、地元福岡を舞台にした映画『なつやすみの巨匠』を企画製作、2ヶ月にわたるロングラン上映となる。

URL

http://iris-in.com/profile/

INTERVIEW
─  今年の夏も、各地で「なつやすみの巨匠」の上映会やDVD発売など,盛り上がっていますね。 「なつやすみの巨匠」の企画はご自身で立ち上げられ、結婚資金も映画製作に投じられたとか。並々ならない思いがおありだと思いますが、それをお伺いしてもいいですか。

昨今の映画業界では、ある程度知名度のある小説や漫画を基にした原作ものがほとんどで、オリジナル企画はなかなか通らないのが現状です。売り出し中の俳優が先に主役に決まっている場合も多く、子供が主役、地方が舞台、オリジナルという『なつやすみの巨匠』はマーケティング的には三拍子揃った「当たらない映画」になるわけで、乗ってくれそうな会社はどこにもありませんでした。しかし映画は文化です。文化には多様性があって然るべきです。当たらない映画は作る価値がないとでも言わんばかりの業界の風潮に一石を投じるべく、「だったら自分で作ってやろう」と思い立ちました。映画と結婚する覚悟で婚活用の資金も投入しました。後悔はしていません(涙)。
また、糖尿病から緑内障を併発し、光を失ってしまった父に全編博多弁の映画を「聞かせて」あげたい、という思いもありました。

─  2009年上映の「RISE UP」に続き、中島監督とタッグを組んで2作目。一緒に自主制作映画を作ろうという6年越しの計画が実現されたそうですが、入江さんにとって、中島監督はどういう存在ですか。

一言で言うと「戦友」ですね。当時、私は既にテレビドラマでデビューしていましたが、なかなか映画の脚本を書く機会に恵まれませんでした。そんな頃、自分が撮る映画の脚本家を探していた監督が私の作品を観て「この人と仕事がしたい」とオファーしてくれたんです。この期待には必ず応えなければ、と思いました。
『RISE UP』はお互いにとっての商業映画デビュー作ですが、とにかく予算がなくて非常に苦労しました。それを創意工夫で乗り越えていくうちに戦友としての意識が芽生えてきた感じです。また、出来上がった作品を観ても、私が脚本に込めた想いをきっちりと汲み取った演出をしてくれていて、なおかつイメージしていた以上の素敵な画に仕上がっていました。自分より7つも若いのですが、この監督とはまた仕事がしたいなと思っていました。私と同じく業界への義憤のようなものを抱いており、今回の私の企画にも全面的に賛同してくれた次第です。

─  入江さんは福岡市、早良区のご出身で高校在学中に映画製作に目覚められたと伺っています。映画製作を始めたきっかけやエピソードなどをお伺いしていいですか。

元々テレビっ子だったので映像を作ることに興味はありました。当初バレー部だったのですが体を壊してしまい、他に何か自分を活かせるものはないかと思案していた頃、大林宣彦監督の『ふたり』という映画を観たんです。これまで意識していなかった、映像から伝わってくる「におい」のようなものに心を打たれ、「自分も作ってみたい」と思ったのがきっかけです。
といっても高校の映画研究部は部員ゼロで廃部状態だったので、自分が部長として一から立ち上げることにしました。予算も下りなかったため父と折半して自腹でビデオカメラを購入し、撮影も脚本の書き方も全て独学で覚えていきました。そのうちに部員も増えてきて、文化祭で自主映画を二本上映しました。この時に観客の誰からともなく湧き起こった拍手、あの感激は生涯忘れられません。
今でもあの時の拍手に私は支えられている気がします。

─  プロデューサーを通してオファーがあった作品の脚本を書くのが一般的だと聞いたことがありますが、自ら作ると決断されたことで、ハードルが上がった点などありますか?

普段は原作を上手くアレンジしたり、スポンサーや事務所の意向に応えたりと、どちらかというと職人的な腕が必要とされる仕事が主体ですね。それはそれで必要なのでオファーしてもらえるわけですが。
今回は自主企画でオリジナルということもあり、自分の中にある作家性を尊重しつつ、けれども独り善がりでなくきちんとエンターテインメントになるようバランスを考えました。
むしろ問題は予算の方で、普段はそこまで意識しないで済むのですが今回はそうはいきません。私の初稿だと監督が当初見積もっていた額では桁が一つ足りないと判明し、暗澹たる気持ちになりました(笑)。自己資金のみならずクラウドファンディング、地元企業の方々の協賛・出資により、最終的には商業映画レベルの規模にはなりましたが、それでも予算の都合で実現できなかったシーンなどはかなりあります。

─  (中島監督と)次回の計画などあたためているものはありますか?

私は福岡をハリウッドのような映画産業の街にしたいと割と本気で考えています。アジアに近い福岡にはそれだけのポテンシャルがあります。今回の『なつやすみの巨匠』も、我々の中では福岡映像都市プロジェクトの第一弾といった位置付けです。単発で終わらせてしまうのではなく、作り続けていくことで新たな文化が根付いていくと信じています。
中島監督とは「また福岡で作りましょう」と話しています。福岡はジャズやロックなど音楽の街でもあるので、音楽をモチーフにした映画をやりたいなと漠然と思っています。

情報更新日:2017/08/28

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